【池川明 チャンネル】

第167号 認知症を考える:3(魂に直接アプローチする?、接する側の意識によって変わる?)

《内 容》

(質問)
赤ちゃんとコミュニケーション出来るっていうことが今、ありますでしょ?、それと同じ事が認知症で出来るかどうかって・・・?

(池川先生)
出来ると思います。認知症もまだらだったりするんですよ、ある時は良かったりある時は悪かったりするんですよね、

だから、肉体というもののハードルを飛び越えて魂に直接アクセス出来れば、可能だと思うんですけどね、

たぶん発達障害もそうじゃないでしょうかね、発達障害の子達もやりたい気持ちはあるんですよね、だけど身体が上手く動かなかったり、入ってくる情報がすごく過度にセンシティブに感じたりはする、

でも人間だとその感度を落とすことが出来るんですよね、

でも赤ちゃんとかは感度の調節が出来ないんですよ、だから全ての情報をそっくり受け取ってしまって、処理しきれない状態なんですね、

で、大人になると人の話を聞いてないっていう風に情報処理出来るじゃないですか、あれはやっぱり、場合によっては機能が落ちてるんですよね、

落とさないと生きていけないみたいなそういう状態だと考えたら、ある程度情報を落とし込んで、必要な情報だけを取り出すっていうのも技術だし、

赤ちゃんが全て良い訳ではなくて、この世の中で生きていく為にはちょっと生き辛いだろうなって思います、全ての情報を未処理で受け取ってしまいますんで、

だからそう考えたときに何が良いか?、生きやすさっていう目線で見たら情報をカットした方が良いだろうし、

赤ちゃんっていうのはもう何も無いモノだって考えた方がスゴくやり易い訳ですよね、

だから認知症っていう病気があるとしたら、それは無いモノ、無い方が良いしって考えるんだけども、

感覚器の例えばチューナーの問題、センサーの問題だという風に考えたら、

どういう風にいじったらどういう風に本人がより良く生きやすいのかっていう目線で考えたら、ちょっと違った解決法があるんじゃないかと思うんですよね、

(質問)
認知症の老人も、この人は自分のことを解ってるっていう前提で接する人と、もう認知症だから何も分かってないんだ、っていう感じで接する人とでは違ってくるかも知れませんね?

(池川先生)
いや~、それは多分違うと思いますよ、あの、介護の現場でハッキリ違いが出ると思いますね、

介護者が、お年寄りでね病気を抱えてる人を尊重してるのか、単に病気のお年寄りで世話してやってるんだっていう気持ちとでは、受ける側の態度は全然違うと思います、

それはもう保育の現場でもそうですね、

子供を子ども扱いしてる保育者と、尊重してる保育者とでは、子供のなつき方が全然違うんですよ、それはもう全部言える、動物でもそうじゃないですかね?、

犬とか猫とかでも、尊重してる場合と尊重してない場合では態度がハッキリ違うと思います、

(質問)
赤ちゃんも、その人格を尊重しながら接するっていう事と同じように、認知症と診断されて解ってないような老人でも、その人の人格を尊重しながら接するっていう・・・、

接する側の、まあ教育っていうか・・・、

(池川先生)
そうですね、それは大事だと思いますね、

(質問)
あまり無いですよね、その視点でいま見てる人たちは、

(池川先生)
う~ん、現場ではね、たぶん経験的にはあると思うんですけど、で口頭では言うと思うんですけど、

でもねホントに認知症の人で現場で携わってる人って、たぶん余裕がないんですよね、赤ちゃんを育てるお母さんと一緒だと思います、

”この子なんで分かってくれないの?”っていうイライラですよね、それを現場では持っちゃうと思うんですよ、これはもうしょうがないですよね、

でもそうだとしても、この子は分かってる、この人は分かってる気持ちが有る無しではもう全然違うんで、

やっぱそこは教育っていう部分がかなり影響するんじゃないでしょうかね?、はい、

やっぱりあの~、分かってるっていう安心感があると穏やかになりますよね、認知症の方もね、分かってないと思って手荒に扱われるとやっぱり攻撃的になりますよね、まあ同じだと思います、

まあ胎内記憶っていうか、魂を見るかどうかっていう発想じゃないでしょうかね?、

胎内記憶やるとね、魂があるっていうのは自然に分かるんですけども、今の自然科学とか医学の中では魂は考えませんから、

やっぱ脳の機能の問題って考えるので、まあ機能が壊れたものは、まあポンコツの車と一緒だよねみたいな感じですかね、

でも乗ってるドライバーはスゴいんだよっていう、このドライバーがなんとかポンコツでも動かそうと思えば動くんだよっていうねえ、そういう意識を持つか持たないかじゃないですかねえ・・・、