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【飛谷ユミ子 チャンネル】

第44号 子供思いと過干渉、線引きはどこ?

《内 容》

(質問)
虐待っていうのは、よく社会問題になるし、当然誰もが良くない事って思ってますけど、過干渉っていうのは、すごく分りにくくて、例えば、あまり干渉しない親よりも子供に干渉する親の方が、子供思いの親、みたいな・・・、世間的なイメージってあるじゃないですか・・・・、それ(過干渉)は本当は社会問題な筈なんですけど、虐待と比べたら、問題にならない・・・・・

(飛谷先生)
・・・その、線引きは難しいですよねえ・・・、自己判断な訳ですよねえ、・・・自分が感じるのはこれ、過干渉か、ここまでは過干渉じゃないかっていうね、あの~、とても難しいところだろうと・・・、

昔はその、.祖父母がいて、両親がいて、で子供達という大家族で、色んな目があって、色んな意見を述べながら、子供も成長していったんですけれども、核家族で、ましてや母と子が、一日のうち殆どがそういう生活・・・、ご主人、パパはお仕事がお忙しくて帰りが遅いとかね、朝はやく行っちゃうという・・・、

そうすると、親子関係、一対一の関係が織りなす世界、社会っていうのが・・・、もうちょっと見直さなきゃいけないんじゃないかな、って気がしますねえ・・・、

私もこの教育してて、あの~、何人か、う~ん、これはちょっと困るなあ・・・、という、そして、お母様にもその話をする訳ですね・・・、”今、困った態度をしてる子供達、お子さんは、失礼ですけどお母様が育てた子供の姿だから、子供を責める訳にはいかない・・・”みたいな事をちょっと柔らかく言うんですけど、お母さん、泣きますけどね・・・、う~ん、そこは、今後の大きな課題だし・・・、

あの~、昔たくさん子供がいて、お母さんと面と向かってお話しすることが無い子供が、お母さんの後ろ姿を見て育って、で、上の子が下の子の面倒を見て、という社会は、そういう問題は無かったんじゃないかな、と思うんですね・・・、みんな生きる、というところに必死でしたからね・・・、

で、こないだもテレビで、モンゴルの映画が出てたんですけれども、ドキュメンタリーがね、で、日本の子供が何をしてるか、どんな遊びをしてるか、って話になって、そこに出てる方が言ってた・・・、じゃ、モンゴルの子供達は遊ばない、どうしてですか?って言ったら、”子供は子供なりの仕事があるから遊んでる暇はない”とか言ってましたけどね・・・、

だから、世界には色んな、その、子供がおかれた立場がある、先ずはその日本の子供達が、どういうところが問題で、どういう風にしていったら良いかっていうことも考えていかないと・・・、

それに付随して、え~、私もこういうこと長くやってますと、その親子関係、人間関係、大人の関係から生みでてくる害的なもの、害になる様なものがある訳ですねえ・・・、

この教育をやる事によって、何か子供に害があっちゃいけないと、じゃや、どういう事かっていうと、この教室へ通わなかったら良かった、っていう様な結果が出る様な子を出しちゃったとしたら、これは大変な事ですね・・・、

で、その、子供の価値判断、お母さんの価値判断っていうのは色々あるんですが・・・、良いと思ってたけれども、その集団の中に入れてみたら・・・、教室に通ったら・・・、子供はそんな積りはなくてもお母様の方で順位制、競争原理に働いちゃうとね・・・、

そうすると、折角楽しみに行ってた教室が、いつもいつも頑張って一番ならなきゃならないという様な競争原理になってしまうと、これは通わない方が良い、と私は思ってるんですね・・・、

諸々、子供にとって今の世の中どうだろうかな~って、時々は考えちゃうんですけどね・・・

 

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